仰せの如く本日を以ちまして海軍が解消致します、
七十餘年に亙る光輝ある我が海軍の歴史を顧みまして、
我が先輩に對し誠に慚愧に堪へませぬ、
上記の昭和20年の米内光政の発言が「慚愧に堪えず」の確認できる限りの初出のようだ。
「慚愧に堪えず」
は一般に「悔しくて仕方がない」というニュアンスで使われるが、
「自分のことを反省し恥ずかしく思う気持ちを抑えることができない」
これが本来の意味である。
つまり外側に対しての怒りや悔しさではなく、
外側の事象に対して自分が力なく
自分の思うところを示現できなかったことを指しての自戒の言葉といえる。
昨日前職の企業に対しての株式公開買付が発表された。
代表取締役を15年、上場に立ち会った当事者として
社会の公器とはなんなのかを改めて深く強く想う。
金融機関は社会の公器であるべきだ。
つまりは利用する顧客の側を向き、誠実で公正かつ透明なサービスを提供するべきだと。
そしてそれが証券会社であれば全ての人にとって大切なお金、
ともすれば命より大事なお金を「増やそうとの想い」、
それを受け止めるのが証券系金融機関の個人投資家に対しての、
パブリックカンパニーとしての存在意義なのだと、
その想いを持って株式上場に奔走した。
もちろん綺麗事だけで会社は維持できない。
社員の給与、オフィスの賃料、サービスの維持費、
公器として毅然としたサービスを提供するためには、オカネも当然かかる。
しかし証券系金融機関の場合、そのオカネも、
「投資家である」顧客からもたらされるものである。
自己の採算や利益を得るためには顧客から少しでも取引を多くもらうことが第一であり、
それを実現するために顧客の満足を得るべく
「何を提供すべきか、どれだけ提供すべきか」に取り組むのである。
「どれだけ」提供すべきかは経営者によって考えの違うところなのだろうが、
究極、「際限がない」というのがこの答えであり、
つまり本気だったら「どこまででもやれ」なのである。
それが自慰ではなく、真に顧客のためを想い取り組んでいることであれば
胸を張って公言できるし、それに顧客は遅かれ遅かれ応えてくれるはずだと自分は信じてきた。
前職の会社の今があるのも、赤字で倒産寸前だった会社が顧客に受け入れてもらうべく
文字通り清水の舞台から飛び降りるほどの賭けとして
業界で初めて手数料をゼロにしたところからである。
「客の方を向いた」と某掲示板にあった書き込みを今でも忘れない。
お客様に足を向けては寝られない。お客様は馬鹿じゃない。打てば響く。
手数料に限らず、サービスとして、システムとして、
表裏を手を抜くことなく顧客の方を向いて取り組んだし、それに結果はついてきた。
自分の体験として、今でもこれが成功パターンであると確信している。
会社は綺麗事だけではない。
日々を織り成していくには並々ならぬ心血が必要であることもわかる。
株式公開買付する側も、成立させるには、その並々ならぬ心血に見合う評価が必要となる。
つまりは、ここまでの企業の取り組みに対しての、その評価の折り合いがついたということなのだろう。
その意味では、真の株価を示した者が現れてくれたことは悪いことではなく、歓迎するべきことなのだと思う。
それにしても、上場廃止は残念だ。
一点、自分がこだわるのは
「社会の公器」としての存在意義なのである。
上場の是非が社会の公器の是非ではない。
非上場となっても金融機関であれば、文字通り「是非とも」社会の公器としてあり続けて欲しいと願うばかりなのである。
つまり、お客様の方を向き続けていて欲しい、ということ。
決断した者たちへの苦渋の決断を受け入れ、
奮闘している者たちへ大いなる労いを、
評価を示した者への大いなる感謝を。
そして自分に対して「慚愧に堪えぬ想い」を。
(2024/11/01 奥山記)
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