富裕者というけれど。。。

浮遊者?
(某RPGで言えばレビテトか。。。)
いえいえ富裕者です。

富裕者の定義。

野◯総合研究所の定義では
純金融資産保有額が1億円「以上」の方を指す。
純金融資産保有額が5億円を「超えたら」超富裕層、
5,000万円以上1億円「未満となったら」準富裕層、なんだそうな。
(概ねじゃないのね。。。変な定義だなぁ。。9999万円の資産なら準富裕層。)

2019年の時点で
日本国内には富裕層が124.0万世帯
(日本の世帯数は、だいたい5500万世帯なので50世帯に1世帯)、
超富裕層が8.7万世帯同様(同様に600世帯に1世帯弱)に、いる、らしい。

富裕層と超富裕層を合わせた純金融資産保有額は333兆円、
全世帯の保有額が1,554兆円なので富裕層と超富裕層で
20%以上の金額を保有している、そうな。

で、そんな統計情報はともかくとして、
自分は東京のマンション住まいなわけのだが、
家から東京の景色を毎日みるにつけ思うこととして、

まぁ新築や建設中も含め、
タワーマンション(タワマン)のニョキニョキと建っていること建っていること。。。
山手線圏内であれば3LDKだと、もはや最低でも1億円。通常だと1億5千万円前後か。。。
同様のものを賃貸で考えると月額50万円はくだらない感じか。。。
(管理費や付属駐車場、車のローンまで考えると後10万円は月額乗ってくる。。。)

無論、一世一代、夢のマイホームとして35年ローンとか組んで頑張っている人
が多いのだろうが、それにしても、金利がフラット35とかでほぼゼロなのだとしても、
この家賃負担は普通のサラリーマンには、とても大きい。

以前、塾生の方から興味深い資料をいただいたが、
「 収入 ー 生活コスト 」
でいうと東京は生活の豊かさ(余裕)で都道府県中、最低、だそうな。
東京で仕事をしている人は平均してお給料が高いだろうけど、
その分生活を維持していくコストも高いのである。

一例として、
上記のタワマンを購入したり賃貸で住む人々は少なく見積もっても
年間600万円のローン、もしくは家賃が発生し、
それに加えて水道、光熱費がかかってくる。
(3LDKとして電気代1万〜2万円、水道費5000円〜1万円で、約2万〜3万円。年間にして25万〜40万円)
食費月額3万円??いやいや、もっとかかるでしょう、
家族3〜4人で月10万円くらいは最低ラインか。。。この例なら。
というわけで、つましいのだかリッチなのだかわからないですが、
ここまででも可処分所得の内、700万円くらいが生活維持費ということに。。。
これを毎月払える所得レベルで言えば
天引きの社会保険料は月額上限の95000円(年間120万円)、
これに国民年金と厚生年金の給与からの天引きがかかる。
(月額85000円で年間約100万円)
これに税金。
給与所得控除を考えても所得税が年間150万円以上、
住民税が10%で100万円以上。

ということで、
この例で集計するなら生活維持レベルが東京のタワマンで家族で生活する場合、
上記を全部足し上げるなら、
「年収1000万円がギリギリやっていけるライン」、
なのである。
子供の教育費や介護すべき両親、夏休みなどの旅行が
入ってくるとさらに家計は圧迫されて、、、。

う〜〜〜ん。

メディアや行政が言っているほど中間層は楽ではないのだということ。
世の東京のお父さん達、本当に馬車馬ご苦労様です!なのです。
(高騰しつつあるとはいえ物価が安い、家賃が安い地方と比べるなら
この年収1000万円は半分とは言わないけれど
地方の年収700万円くらいと同じくらいだろうか。。。)

この人たちは準富裕層もしくは中間層に位置づけられるわけで、
困窮者としてはとらえられない。
社会的なセーフティネットや優遇は用意されず、
むしろノブレスオブリージュとして
社会への負担増を強く求められる最下層の人々なのである。
(ちなみにトップページに記載しているがここからどんどん高所得になったとしても
実はこの苦労は所得金額に比例しては楽になってくれない。
元々の資産家でない限りはメクソハナクソ。)

 

生きていれば自分の生活レベルは落としたくない。
嫁子供には少しでも豊かで幸せな生活を過ごせてあげたい。
簡単ではないよ。
むしろ
ボーナスカットされたり、減給されたり、
物価上昇や家賃・水道光熱費上昇、
両親の介護費用、教育費、
補助や手当てはどんどん切られ、
増税、増税、増税。
増加の要因はあっても軽減される可能性はない。

生活困窮者だけではないのだ。
それどころかほんの少し間違えるだけで今の生活が壊れてしまうかもしれない
タイトロープ、綱渡りの中に多くの人がある。

世のお父さん方、少しだけ安心しなさい。
あなただけではないのだ。
誰もがラクではないのだ。

その上で、
どげんかせんといかん。
どげんかするしかない。

やっぱ投資っきゃないよね。
苦しい中からもなんとか運用資金をひねり出してさ。
なくしてしまわないように、ちゃんと勉強してさ。

皆の衆、頑張るべ。(笑)

 

(2022/11/24 奥山記)

 

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強い「円」を望む。

なんだか、どこまでも円安が進んでいく、ように見える。
地獄の釜の蓋が開いたように?青天井のように?
外国為替なので、天地がないので、どう表現するかは微妙だが、
ともかくドル高、円安が進行している。

財務省の24年ぶりの円買い介入(2兆8000億円の支出らしいが、、、一概に相場の損としてではないだろう)も虚しく、
ドル円レートは再び145円に迫るところまで戻り、その先を伺うのか頭打ちなのか、様子見の数日が続いている。
8月に小職監修の「ソロスの投資術」を出版したが、ソロス氏がポンドでイギリス中央銀行を打ち負かしたといわれる過去の教訓には現在の状況は大いに学ぶところがあると思うのである。
歴史は繰り返すというか、人間は変わらないというか、
やはり中央銀行とて価格操作は難しいというか。(個人投資家が大いに振り回されるくらいの価格操作は当然普通に可能だし、もっと本気になれば10円20円円高に、、、なんてことは可能だと思うのだが、それにしても、その価格や傾向の持続力という意味ではやはりマーケットの人気のベクトルが変わらないことには中央銀行とて隅田川に戸板なのだとしみじみ思う。)
そもそも最近の講義の時はいつも話しているが、
日米の金利差が3%開いたからといってそれを理由にドル円レートが3割変わってしまうのが実体なのだファンダメンタルなのだ合理的なのだ当然なのだ、なんてわけないだろうが。
「まだまだ金利差が開く、なのでまだまだドル円の価格差は進行する、という見立て」が市場を支配しているだけなのである。
とても危うい幻想なのだが、相場は相場であって、人気であり、勢いであり、傾向であり、でしかない。
ここまで急激に進まれるとプロアマ問わず、逆張りで円高の方に、というのも怖くでなかなか手が出せないのである。普通に考えたら「ドル高についていくしかない」と思ってしまう足元である。
お国は、なんでこんな風になってしまうまで放置したんだという想いである。

そんな話はともかく、ドル高、円安が進行している。

なぜ円高にしないのだろう?
自国通貨が強いということは自分の国が強いということではないか。
円高をもっとみんな望まないといけないし歓迎するべきだと思うのである。

ざっくり日本円はドルと比較して、2012年の1ドル80円だったところから見ると、
大袈裟にいうが半分の価値になってしまっている。

食料自給率38%の日本なのだから当然6割の食料は海外からの輸入であり、
エネルギー自給率は10%。ほとんどが海外からの調達である。

円の価値が半分になってしまったらどうなるのか?
いうまでもなくそれだけで、
日本国内の多くの食糧の価格は2倍になり、エネルギー代金も2倍になる。これにさらに世界的なエネルギー価格の高騰や小麦価格等の高騰が追い討ちをかけているわけだ。

ちなみに円の価値が半分になっているので、世界基準(ドル建て)で見た時には
日本の国民資産も国家資産も、国家予算も「半減」しているわけだ。
海外への開発援助だって円貨で同額拠出していても海外から見れば半減していることに。
個人が海外旅行に行くには2倍の出費を覚悟しなければならなくなった。
(その意味でウクライナロシア問題だけではなく、日本人にとって世界はとても遠くなってしまった。。。)

どうして円を強くしようとしないのだろう。
国が栄えれば、国家の価値が上がり、当然通貨は高くなる。

ここまでの話を逆の言い方をするなら、
円の価値が2倍になれば(再び1ドル80円になれば)、

食料品の価格は半額になる。
エネルギー代も半額にある。
国民の財産も世界基準(ドル建て)で2倍になる。
海外への投資や援助も同額の拠出で2倍のありがたみが出る。
国家予算も同額であったとしても(世界的に見れば)2倍の価値が出る。
防衛費だってそうだ。どうぜ海外から戦闘機買うのなら半額で戦闘機を購入できる方が良いに決まっている。
日本が強くなっていく(経済が強くなっていく、円の価値が上がる、円高になる)と思わなければ外国人の日本への投資も当然進まない。
どんどん価値の目減りしていく資産への投資なんて出来ないし、
むしろ様子見はおろか損きりしようということになる。
(ここ半年、特に最近の株安はこの要素が強いと自分は思う。ドル評価で有価証券が3割値下がりしているのだ。株価も下がっていて、外国から相対的に見るなら半額の価値以下に。バーゲンセールとも言えるのだが、それ以上に今後の値下がりが怖いから一時撤退!リスクオフ!な外国人投資家、なわけだ。)

「円が安い」ということは、国家も、国民も「ど貧乏になっていってる」ということなのだ。

観光業の外国人インバウンド流入の推進のためだけに、
国民資産が半分、物価が2倍になって、国家予算の価値が半分になってしまっては困るのである。(むしろ海外にじゃんじゃん遊びに行けるくらいの力が必要なのだ。外国人の爆買いをアテにしているようでは乞食同然。。。。)

国債の利払い額を懸念してのゼロ金利、金融緩和継続では困るのであえる。
景気を良くするための金融緩和を金科玉条に「国家や国民がど貧乏になっていく」オペレーションは間違っている。

国家の価値は高まらないといけないのだ。
バラまいているだけ、支えているだけでは亡国への道だ。
安易なディスカウントストア戦略の先には破綻しかない。付加価値戦略でなければいけないのだ。
溶けるカネと未来に活かすカネは同じ支出でも全然違う。

日本国民として思う。
強い円高を、強く、望む。

日本国民よ、ドル上がってシュン!であれ。(笑)

(2022/10/3 奥山記)

 

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取り上げられない消費税という増税の事実

参議院選の投票日近くになっての投稿ご容赦。
特定の政党に肩入れするものでも誹謗するものでもありませんが。
呟いておかずにはいられないので消費税の件だけ簡潔に。

物価の値上がりが激しい昨今ですが、
消費税は10%のままです。

現在の税収は約57.4兆円であり、
実にそのうち20.3兆円、
今となっては税収のうち3分の1を上回るのが消費税。

ちなみに法人税は2020年からアベノミクス絡みで減税され半減、
2021年は8.9兆円となっている。
つまり消費税の半分以下。

所得税は2019年21兆円近くだったのが
2021年は18兆円、つまり3兆円減っているが、
これは減税ではなく「国民全体の収入が減った」と見た方が良いだろう。

そこに加えて今回の物価高、なのである。
消費税率は10%のまま変わらなくとも、

「物価に連動して実質支払う消費税は上がる」

のである。当然だけど。

仮に昨年対比で物価が2割上がるのであれば、
消費税による税収も単純試算では2割上がることになり、
2021年20.3兆円強だった消費税は25兆円弱、ということになる。

さすがに、、、

取りすぎではないか?これは。
野党のマニフェスト(実現しないから党約?プロパガンダ?)のように
廃止だ税率引き下げだなどと簡単にいうつもりもないが、
2022年の税収バランスの着地を考えるなら、とても恐ろしい。

以下、ただの仮説だが、
今年度だけでも2割の物価高で済まないと思うので、物価が35%上がる、
法人税収はコロナ、ウクライナで赤字企業が増えているので20%減。
所得税収は個人所得はなお低いまま。景気悪化を受けさらに10%減と見ると。

消費税:20.3兆円 → 28兆円(+8)
法人税: 8.9兆円 →  7兆円(−2)
所得税:18.0兆円 → 16兆円(−2)

出来上がり予想でいうなら消費税による大幅な増収により
2021年57兆円だった国家の税収は、
今年2022年は61兆円を上回ることが想定される。(勝手な予想だけど。)
(実に国家税収の50%近くを消費税が占めるのである)

消費税に関してはなんのトリガー条項も軽減措置もない。
過去に決めた税率分、何もしないで入れ食いの税収なのだ。
こんなに、コロナによる消費低迷や円安による物価高やらで国民が苦しんでいるのに、、、

マスメディアはじめ、それってもっと取り沙汰されるべきなのではないのか?
補助金どうのとか支援策どうのでお茶を濁されても困るよ。
だって、火事場泥棒じゃん、これって。ひどいよ。と思うのである。

誰か、なんとかして!(嘆)

(2022/07/8 奥山記)

 

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Immortals(不老不死)

ベイマックスの主題歌(Fall Out Boys/Immortals)です。(笑)
mortals、生ける者、転じて、死すべきさだめの者。こちらが通常。
これに打ち消しの接頭語をつけてimmortals。
直訳すると「死なない者」。
ベイマックスの主題歌はこれをして言葉に「永遠」「無敵」「無双」の意味を込める。
鉄の意思とか強い信念とか、なくならない考え方、の意味でかっこいい言葉として。

バカなやつと思われるかもだが、
自分は「人間はいつか死ななくなる」と本気で考えている。
(多分、自分はそれには間に合わないと思うけど。。。)

死ぬとはどういうことなのか。
魂とは何か、心とは何か、どこにあるのか。

なかなか興味深いテーマであるし、
劇場版銀河鉄道999のキャプテンハーロックに言わせれば
「想いを後世に継いでいくことこそ永遠の命だ(意志の連鎖こそが永遠の命だ)」
なんてのがあるが、そんなことを今回言いたいわけでもない。
(これはこれで実はしっかり語りたいけど。(笑)
日本人の、海賊といえば義賊でしょ、というイメージは
出光でも村上水軍でもなく、松本零士による半世紀のすり込みなんだろうなぁ。
宇宙戦艦ヤマトの古代進のお兄さんの古代守がキャプテンハーロックなの知ってた?
小松原一男さんの描くメーテルの表情がとても素晴らしい)
。。。キリがないので話を戻す。

数年前のハリウッド映画に「トランセンデンス」というのがある。
ほぼ現代のSFで、人工知能の学者さんが死んでしまう前に脳のシナプスデータを
ごっそりサーバにアップロードして、コンピュータ上に人格を移築形成する。
コンピュータはやると決めたらめちゃくちゃ速い(笑)ので、
その人格が生前?やりたかったことをガンガンこなしていく。
R&Dやマイクロマシンの開発などが笑えるくらいすんごい勢いで進んでいく。。。
デジタル化による恩恵や実現可能性、リスクや人道問題など、
色々考えさせられる(SFとして面白い)映画です。
トランセンデンスとは「Transcendence」で、辞書では「超越」「超絶」という意味。
映画を見て自分が思った感想としては超越というよりは、
人類が新しいレベルに移行する可能性のようなものを感じたので、
語意としては適切でないかもしれないが「昇華」が相応しい気がする。

スマホなどの通信はもとより、
マトリクスよろしく仮想世界(バーチャル空間、メタバース)も一般化しつつある昨今、
人間が身体や物理的な場所に囚われない世界が着々と進んでいってるように思える。
(コロナ禍の功としてオンラインでのミーティングであり授業であり、分散型の作業でありと、場所に縛られない社会というのが一気に進んだように思います)
対面で直接ってない人が実は物理的には存在しない人だったとか、
(2Dではあるが営業マンや案内嬢などのアバターも実現しはじめてる)
月には行ったことないけど月に住んでる友達と毎日仕事してるよ、
なんてこともそれほど遠くない未来に実現しそうである。。。。
映画のように人間がコンピュータに移築されるなら不老不死は大いに現実味を増す。
(脳だって電気信号のネットワークでしかないのだから十分可能性はある。)

「死」は現時点では克服できない、万人に待ち受けるもの。
死にたくない、若いままでいたいというのは、人間の欲求の究極であり、
日常的な言葉でいえば「健康で、元気に、若々しく、すごし続けたい」となろうか。
人生を豊かに過ごしたい個人は、人それぞれだが、そのために色々な努力をする。
(運動、サプリ、食事、手術などの治療、お肌のお手入れ、アンチエイジング、美魔女、、)
「不老不死」は言葉としては非現実的でも、
極めて普通の人間の、なんとか叶えたい、できれば近づきたい願いなのだ。
(そういえば名探偵コナンの敵方、黒の組織のゴールも不老不死だよね。。。)

いやいや不死なんて、と思われるかもしれないが、
ナノテクノロジー、細胞レベルでの治療、ワクチンや治療薬の進化。
マイクロマシンと言われる微細なロボット。
人間としての身体を補助したり代替するロボットやデバイスの発展。
人間の記憶媒体(脳)の一部外部化と、そこへのアクセシビリティの向上。
実はどんどん人間は老いなく、死ななくなってきている。
人生50年なんて言ってた信長の時代に比べたら、
ダブルスコアの100歳なんて「普通」な昨今なのだ。

30年前の人から見たらスマホだって嘘みたいな世界。
タッチパネルの普及もすごいけど、最近は非接触で操作できるものも存在する。
液晶テレビの薄さや、使えるコードレス掃除機。
自動車だってもうすぐ自動で走る時代になる、、、はず。
昔の人から見ればなんじゃこりゃーな凄さ。

今は無理でもいずれ、あると思います、不老不死。(笑)

凡そ人間が想像していることは時間はかかるかもしれないが現実化していく。
10年では届かなくとも、20年あれば。
2050年を待たずに状況は大きく変わってるのではないだろうか。
人類は不老不死にあながち遠くもなさそうなところまで来ている。

60歳定年とか65歳年金支給なんて言ってる場合ではない。
人間は100歳は普通に超えていく時代が既に現実化しつつある。
既に、ひと昔前の自分達の親の世代と比べれば10〜20歳は寿命は伸びてる、
実感的には祖父祖母からみると30〜40年伸びてると言っても過言じゃないのでは?
(そりゃそれを国家支給で賄おうと思ったら国家の財政破綻するわいな)

乱暴だが人は死ななくなると思って人生かかった方が良い。
逆にいえば、「死ぬ」というのも、(金がないのも含め)理由があって生じる
後発的「事故」「不運」になりつつある。

で、何が言いたいかというと、そんなだからこそ、

死せることを実感している者よ、
1日でも長く、生きることにしがみつくのだ。
日進月歩で格段に人間は死ななくなりつつある。
今日治せなかったことでも明日には治るようになっているかもしれない。

そして生きるということは無駄に時間を浪費していくことではない。
自分のやりたいことをするのだ。自分らしく生きるのだ。
時間が限られているから人生を有意義にするのではない。
限られていようがいまいが、人生はその人にとって有意義であるべきなのだ。
やりおなしは何度でもきく。何かをするに遅すぎることはない。
あきらめて惰性に流れるのではなく、
余命をカウントダウンするのではなく、
自分の意志で、
自分なりに納得いく豊かな人生を、幸せな人生を過ごすのだ。

「今」を大切にできる人には素敵な時間がより多く用意されつつあるのだ。
逆に今を大切にできないなら未来は無限の煉獄となる。

例えば50歳からの残りの人生50年(もっといえば100年!)をどう生きるか。
一通りの勉強もし、子育ても終わり、社会人としても1ラウンドこなしたとする。
それで終わるのか?
そこから先こそが本当の自分らしい人生なのだ。
人生のピリオドに向けて力を抜いていく時代ではないのだ。

人生いつでも、これからが面白い。
「ここからや。やったるでー。」の精神でいかないとね。

(2022/05/27 奥山記)

 

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誰かの大切にしているものを土足で踏み躙ってはいけない。

スルーするわけにいかないので、ウクライナのことを書かねばと思うのだが、
長く残るだろう文章を残すのは書く側として、とても難しい。

どちらの正義か、それが正しいのか、エコひいきではないのか、
本当によく見、よく調べて言ってることなのか。
刹那的側面だけ見ているのではないか、感情的になっているのではないか、
またそうやって言葉を発することが、
今後の周囲にどれだけの影響を与えることになるのか。
どれほどの周囲を迷惑に巻き込むことになるのか。

発信をするということは、そういうことを考えねばならないのである。
発せられたものを撤回することは出来ないのだから。
無責任発言ではいられないし、そう紋切って発言してもそれでいいともならないからである。
そういう意味では相場より難しい。

それでも、言わないままでスルーできる話題ではない。
明らかに多くの人が巻き込まれ影響を今後も受ける2022年全世界を揺るがしている最大の問題なのだから。

最初に断っておくが、ロシアの人々が悪いわけではない、と言い切れるのか。(おい)
ヒトラーはドイツ国民に選ばれてなったのだぞ。かの御仁しかり。
しかしそれが空気だ、時代だ、圧力だ、というならば、先の大戦の日本も同じではないか。

ロシアを経済制裁するに加担しているのは日本政府であり、ひいては日本国民であり、
それはロシアの国民から恨まれても仕方のない日本の背負う十字架である。
「俺が失業したのは日本のせいだ!」とロシア人で叫ぶ人がいたとして、
それを我々が「俺のせいじゃないよ」と言っては無責任なのである。

だからといって、一人一人の日本人が恨まれるべきかというと当然それは違う。
同様に、今回のウクライナの件で一人一人のロシア人を恨むのかというとそれも違うのである。
個人をヘイトし攻撃したところで世界に平和は訪れない。
むしろつまらないところで火種が増え、事態をよりややこしくするだけである。

自分達も当事者の一部であることを認識し、その責任を受け止めつつ、
何ができるかを考え取り組まなければならないのである。
(、と言ってもできることは限られるのだが)

一方でこの問題は、違う意味で対岸の火事ではない。
未だコロナ禍からの脱却が出来ない中、世界の物流は大混乱。
ロシア上空を空輸で飛べないからフードマイレージも跳ね上がる。
石油、ガス、電気、エネルギー料金の高騰。
(水道代すら浄化・濾過する費用分は値上がりする)
小麦はもとより、食料自給率の低い日本である。
国産の牛さん、豚さんの価格とて家畜飼料の高騰を免れず、
ほぼ全面的に物価はまだまだ値上がり必須である。
(主要価格を調査してこのブログコメントに記録しておくと、後から見て意味あるかも。)
物価の値上がりはこんなもんで終わらない。覚悟しておかないと。
(足下はSDGsどころじゃないのよ、明らかに。
バッジつけてウロウロする前にもっと現実直視しないと。)

給料は、、、というと。難しいだろうな、、、
全般見渡すなら職があるだけありがたいと思え、な感じか。。。
物価のインフレは避けられず、反面、低所得、低金利はまだまだ続いていくだろう。

誰のせいの不景気かという話なのだが、犯人探しはともかく、
その影響は一人一人に容赦なく降りかかる。

いきなり親戚国に攻撃する彼の国なのだから、
隣接する我が国も大概用心しておかないとと思う。
(相手からすれば今回の経済制裁加担などだけでも恨むよね、間違いなく。
首相が口頭であからさまに非難もしたり、他国にも協調を呼びかけているのだから
日本は反ロシア宣言をリードしてる国の一国です。
「お前なんか嫌いだよー」ってあからさまに言っちゃってるんだから。
武力は行使してないからなんて言い訳しても相手には通じません。)

それでも、なお、より一層、我々がその痛みを伴ってでも、
一刻も早くこの乱暴なお兄ちゃんの弟殺しを周囲としては止めないといけない。
ケンカはフェアに行ってくれ。
みんなが困る。

ニュースの映像を見て、
無辜の市民や子供が戦争に巻き込まれているのは
涙なしにはいられない。
非道いことをすると思う。

自分達の都合で見ても、
はやく終わってくれよー。
誰か止めろよー。
なんでこんな長引いてるのよー。困るよー。
である。

ウクライナ侵攻からもう2か月以上が経つ。
ロシア勢に言わせれば西側に偏向して報道されすぎているとの指摘もあるが、
それでもウクライナ、ロシア、
それぞれの多くの兵士(それとて家族も子供あるだろう人間なのだが)はもとより、
多くの一般市民や子供が戦禍に巻き込まれている。
それぞれには、それぞれの理由があるだろう。
それは斟酌する必要が当然ある。が。

そもそも武力行使によって境界線を変更する行為というのはこの21世紀に世界的に認められるとようなものでは決してない。
次に人道。どんな理由があろうと、一般市民や子供が巻き込まれてはいけない。
たった一人であっても。

力による強制は、因果を生む。仮にロシアが彼の地を手に入れたしても、
土地を取られた人、家族を失った人たちの悲しみは続き、憎しみは連鎖するだろう。

そうやって手に入れたものは永続安定するはずがないと思うのである。

力を持ち、行使する者が相手を思いやらず、躊躇しない場合、
どうすれば良いのか。
行使される側が対抗するのはもちろんなのだが、
それを取り巻く周囲はどうすれば良いのだろうか。

経済制裁やメンバー除名などをおこなっても、もう2か月も止まらないではないか。
いかに我々は無力なのかを実感させられる。
沈黙より声を上げた方が良い。
声を上げるより具体的なアクションを起こした方がもちろん良いに決まっている。

それでも、止まらないではないか。

我々はどうしたら良いのか。
出来ることはないのか。
力の行使にはこれほども無力なものなのか。

世の中は平等ではない。
弱きものが強きものに並ぶ、追い越すのはとても難しいことである。
強きものたちが作り上げた環境とルールの中でブレイクスルーを図らねばならないのだから。
たとえそれが強き者たちが作り上げたプロテクトであったとしても、ルールはルールである。
強き者も守らねばならない。嫌ならまずそれを変更するかしなければならない。
従うべきもの、それがルールである。
無視はできない。違えていけない。不正をして誤魔化してはいけないもの。
民主主義でも社会主義でも、それが根幹である。
ルールを破って行う行為はインチキである。強国であっても認められない。

ボクシングで目潰しして相手をやっつけてもそれは勝ちではない。
ドーピングして1等を取ってもそれは認めてはもらえない。
強盗をして大金を手に入れても成功にはつながらない。

貧富格差、民族問題、領土問題、宗教問題。
世界は複雑かつ、ややこしいが、

それを一方的な理屈をつけ、力では解決しちゃいけないはず、なのだが。
そういう力を行使しても認められないうはず、なのだが。
強い弱いに関わらずやってしまう奴はいるということなのである。
残念なことに、それを本質的即時的ににストップする術がないのだ。

誰もが紳士淑女なわけではない。
そう振る舞うには強くないと出来ない。
強いものは紳士淑女たるべきである。
弱いものいじめをしてはいけない。
ノブレスオブリージュだろが。

権力・権限があるほどに、強ければ強いほどに、肝に銘じておかねばならぬことがある。
自分の生き方として、奥山の最大の胸中であり楔である。

「(強きものは)誰かの大切にしているものを土足で踏み躙ってはいけない。」

さて、どうしたものか。
自分の無力さを痛感するここ最近なのである。

次回は時間をおかず軽い話題で行きます。ご容赦。

(2022/05/05 奥山記)

 

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日向の道を歩けばきっと人生は輝くよ

毎日の楽しみがひとつなくなってしまった。
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」が終わってしまったのである。
(なるたけネタバレしないよう配慮しつつ書きます)

大正から近未来(2025年)にかけての(一応、架空の)一家族を追いかけた、
出会いあり、苦労あり、別れあり、喜びありのとても良くできたドラマであった。
ここ100年にわたる日本を戦争などの時代背景や流行を滲み出しつつ、
伏線や小さな仕掛け、笑いの配置なども随所に散りばめられており、
最後には凡そほとんどの伏線を回収して大団円に持ち込むあたり、
よくもまぁこれだけのお話の構築ができるものだととても感心する。
(大河ドラマ「平清盛」の脚本の藤本有紀さんだったので始まる前から期待大であった)

NHKの放送してきたラジオや朝ドラを100年追いかけるリスペクトでもあった。
(勝手な評価ですが)名作である。おしんを超えたと思う。
これを超える朝ドラは相当に難しいだろうと思うのある。

つまり、それはもう、先週は毎朝、場がはじまる前から奥山は大号泣だったのである。
終わってからいうな、であるが見るべし!である。

ところで、本作中の主人公たち(3世代)はおはぎや回転焼きを売るお菓子屋さんなのだが、
それもまた興味深い。
戦争により小豆が手に入らなくなってしまったり、
「泳げ、たい焼きくん」「だんご3兄弟」ブームで売り上げが激減してしまったり。
現況コロナ禍の飲食店同様、商売というのは一筋縄ではいかず、
時代時代の荒波や苦労を、辛くも乗り越えた、生き残った結果なのである。

1964年 回転焼き1個十円。
1976年 回転焼き1個六十円。

回転焼きの価格を時系列にチェックしようとしてしまう自分の職業病がこわい。(笑)

あんこ、野球、思い出の時代劇、ジャズ、そして英語の勉強、などなど。
100年を通して変わっていくもの、変わらないもの。
そんなものが笑いを散りばめた中に上手に配置され話の軸となっていた。

世相(時代の風)が自分にとって、いい時もあれば悪い時もある。
それでも人間は生きていく。人生を進んでいく。
振り返れば自分の進んできた道がある。
それだけのこと。

遠回りでも、道草してもいい。
後悔しない道をいかないといけない。

暗闇でしか見えぬものがある
暗闇でしか聞こえぬ歌がある

劇中の時代劇の主人公のキメゼリフとして何度も出てくるこの言葉に、
日々を生きるそれぞれの人の苦労と失意の暗闇をふくめ、
それを乗り越えて人生を進んでいく、他から見れば、それぞれのなんでもない普通の人生。
洒落もこめたこのリフレインがあるからこそ、
陽となるドラマを通してのカギとなる
「the sunny side of the street」 がビカビカ光る。

一生懸命に日々を生き、日課として朝のニュースを見た後に
そのまま朝ドラを見てテレビを消し、さぁ今日も頑張るぞと仕事に向き合う、
そんなtypicalな日本人にとって、久々に、これぞ!というドラマであったろう。

継続は力なり、なんだよね。
お話とはいえ、100年はすげぇや。
半端ないわ。(笑)

Now if I never made one cent
I’ll still be rich as Rockefeller
There will be gold dust at my feet
On the sunny
On the sunny, sunny side of the street

ビタ一文お金がなくったって
俺はそれでも大金持ちなのさ
胸を張れる自分のこれまでの人生が
これからもキラキラ輝き続けるだろうから。
自分に恥ずかしくない
まっとうな道を歩いているから。
(奥山勝手訳)

それにしても、、、
ひなたちゃんは運命の出会い、、、遅咲きすぎやしないか?60歳くらい???(笑)

(2022/04/12 奥山記)

 

参考:
藤本有紀
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤本有紀
ルイ・アームストロング
https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・アームストロング

 

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まことの技倆の持ち主の手におさまるならば。

前回の投稿から少し時間がかかりました。
3月年度末だし、少し早い春休みをとったというのもあるのだけれど、
ウクライナ侵略やら大地震やら停電危機やら彼の国のICBM級発射やら、
いろいろと考えさせられることが多かったここ1ヶ月です。
(105兆円の今年度予算についてもいろいろ言いたいがそれはまた別の機会に。)

で、TVのニュースを見て、いつも気になっていることを今更書きますが。
皆さんももう気にならないくらいスルー状態なのかもしれませんが、
よく見かける政府のコメントについて。

「総力を挙げて対応する」
「毅然と対応する」
「誠に遺憾である」
「最大級の言葉で非難する」
「緊張感を持って注視する」
「要請する」

まだまだあるが、ニュースで発信されるたび、
「で?」とニュースに自然と悪態をついてしまう自分がいる。

上2つはまだいい。「対応する」と言ってるのだから。
それにしてもその「対応」とは、

どんなものなのだろうか?
どれだけの数があるのだろうか?
いつもとどう違うのだろうか?

中3つに関しては、

言うだけなの?
見てるだけなの?

最後に関しては、

要請。。。お願いですか?国民の善意に訴え頼むだけで、政府は対応しないんですか?

そう思ってしまうのである。
無論、ニュースの時間がそれほど長いわけでもないので、
発表されてはいるけれど我々の耳には届いていないだけかもしれないし、
我々が入念に調べればもっといろいろわかるのかもしれないけれど。

生じている問題について、ちゃんとやりますやってますと、
「口だけ」なんじゃないの?
と、どうしても思ってしまうのである。
リアルタイムや緊急的な発信は、行き過ぎや間違いや揚げ足を取られる可能性も高いわけで、
踏み込んだ発言や発信は権限や権力が強くなればなるほど難しくデリケートであることは
十分に承知しているつもりだが、それにしても、、、、

定型的すぎる。
心がこもってない。

発信してる政治家はともかく、お役人の方々は学のある優秀な安定高給の国家の選民なのだから、
その場を凌ぐためのやっつけ仕事ではなく、
国民に寄り添う、国民目線でどこまで言うか、どういうふうに言うかと
都度都度熟慮、思案して欲しいものであsる。
政治家も特にそれがわかっているなら自分の今後の人気にも繋がるのだから
役人にもっと発信する文章の注文をつけるべきだと思うのである。

総力を上げた、毅然とした対応というのは、
「おぉ。頑張ってる。そこまで考え、そこまで行動するのか。強い。さすが我らの政府。」
と国民的には感心させて欲しいのである。
言ってるだけじゃん、とか、またこんな感じなの?、ではツラいのである。

遺憾砲関連にしてもそうである。アクションを伴わない発信でも最初のうちは効くかもしれないが、
口で言ってるだけでは何の良い変化も反応も生まれないと思うのである。
むしろ「お前なんかキライだ」なんてことを何度も何度も発信したとしたら
相手は身構えるし準備する。先制パンチはお見舞いできなくなる。仲直りもしにくくなる。
言ってるだけで「いざ」となっても行動せず日和ってしまうのであれば、新喜劇でしかない。

要請という「お願い」にしてもそうである。
コロナの制限などで見られるように、説明不足・発信不足な中で法的強制力を設定せず、
ペナルティ(罰則)やインセンティブ(代償)を示さずに、
国の都合、政府の都合を「お願い」され、応じなければ非国民扱いされても、、、
正直困るのである。
確かに、日本人は善良で優しい人が多いのでそれでも
ある程度何とかなってしまう部分もあるのだけれど。
それって政府のアクションとして対応不足そのものなのでは。
こんなにわけわからん予算使い潰しているのに。。。
(本当に必要なお金を使っていない、当事者意識が二歩足りない、という意味です。
予算のそれぞれが不必要なのではなく使い方が杜撰だったり計画が甘かったり
誰かが懐を温かくしていることが問題なのです。。。)

ということで、自分の思うところをまとめると、
対応するなら「真剣に、具体的に、口を挟む余地がないほどに。」
発信するだけなら、「言わないか最低限発信にとどめ具体的アクションを水面化で計画・推進・実行する」もしくは「口だけでも効果が大きく出るようにする」
要請には、「説明を尽くし、心を込めて理解を求めつつ、ペナルティやインセンティブを伴わせる」

というのが自分が求める、信頼される施政やリーダーへの期待の姿なのです。

「まことの技倆の持ち主の手におさまるならば」ペンは剣よりも強し。
Calamus Gladio Fortior!

(大いなる蛇足。発信の妙についてゼレンスキー大統領からもっと学ぶべきだとすら思う。
氏について欲を言えば、自分が見てないだけかもしれませんが、
ウクライナ国民に対して「頑張ってるが自分の力及ばずを詫びつつ」というのであれば
最強のカリスマ大統領だと思うのである。
ロシアのウクライナ侵攻はまだ続いている状況ですし、
一刻も早くの停戦を自分も望みますし、
人道的にもあってはならないと当然強く思っていますが、
この戦争は(たとえ降伏したり完全占領されたりしようと)
「1日目にしてウクライナの勝ち確定」、です。
ロシアはロシアの、プーチン大統領の、理屈の正否を問わず、
世界からの目線で数百年この咎を引きずることになってしまいました。。。)

 

(2022/03/28 奥山記)

 

参考:
wikipedia:ペンは剣よりも強し
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペンは剣よりも強し

 

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ごみ拾い

小ネタなのだが忘れないうちにと思い、書いておきます。

たまにお昼にウォーキングに出かけます。
といっても公園をほんの数週するだけなのですが。

で、そのいつもの公園に行く道の途中、
比較的大きめの10センチ四方くらいのゴミ(お菓子の空袋)が落ちていたのです。
拾おうかと思ったのだが大きかったので帰りに拾おうとしてその場はスルー。

そしたら、もう。

公園で歩いている途中、ずっとそのゴミのことをいろいろ考えてました。

「あのゴミを捨てた人はそれで自分の運が落ちるとは思わなかったのだろうか」
「ゴミを平然と道に捨てる人はそれ自体で自分の人生の豊かさや幸せ削ってってるって気づかないのか」
「拾おうと思ったのに拾わなかった。帰りに落ちてなかったら、、、どうしよう。」
「メジャーの大谷サンにはゴミを自然に拾う習慣が身についてる。いやぁ。マジですごい。」
「たかがゴミ拾い、されどゴミ拾い。なかなか出来ない。」

公園から帰ろうとしたときに家内に買い物の頼まれごとをしてたことを思い出し、
違う道でないと帰らないことに気づいてしまった。
「ウォー、オレはあのゴミはもう一生拾えないのかもー!」と激しく後悔。
その結果、落とした財布を探しに行くぐらいの真剣さで
急いで、遠回りになるのだけれど、行きの道のゴミのところに。

「あった!!オレのゴミ!!(笑)」

拾いましたよ。いや、拾えました。
ニマニマしながら。
ゴミ捨て場がなかったので拾ったゴミも家まで持ち帰りました。

自分が捨てたわけじゃあないけれど、
自分の運がそこにあって、自分がそれを拾いそこねた、
もう拾えないかもと後悔しつつ、まだ間に合うかもと思った。
拾えた。なんと自分はツイテるのか。
神様!ありがとーーう。

だったのだ。
むしろゴミを捨てたやつに感謝。
オレがその運、手に入れたぜ!(笑)
(あやうく手に入れそびれそうだったけど。。。)
ゴミを道に捨てる奴は、自分から「負け組」確定も同然である。
反対に、ゴミを拾うなら勝ち組ということになる。
ウソだと思うなら、勇気を出して、道に落ちているゴミを一個でいいから拾ってみてほしい。

一瞬の判断が大きな損得を分けることがある。
わかってて、やらなかった時の後悔はとても大きい。
自分もまだまだ修行が足りない。
わかってるんだったら行動しなきゃいけない。
(理由はいろいろだろうけど)行動できないんだったら、わかってないのと一緒だ。

そんなドラマが道端のゴミひとつであったのだ。
少なくともブログネタにもなったということにも感謝、なのである。(笑)

 

(2022/02/24 奥山記)

 

 

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「elegant」と「elephant」

面積の求め方は知っていますか?
バカにするなと怒られれそうだが、まぁお付き合いくださいな。

例えば上記の1辺10cmの正方形の場合は

10cm x 10cm = 100平方センチメートル

です。

 

同様に上記10cmの正方形に内接する円の場合は、

半径5cm x 半径5cm x 円周率 =「約」78.5平方センチメートル

となりますね。「約」というところに今回の話は1つのポイントがあリます。
上記は円周率(3.141592……)を乗じているので実は
円周率がどこまでも割り切れない無理数なので
「どこまで行っても完全に正確な面積は求められない」なのです。

ここまでの例だと計算で面積を求めるのだが、これらは
リクツを認識していて(ないし計算の仕方を知っている)「数学」の世界。

では下記のシルエット部分の面積を正確に求めることはできますか?

そう、どれだけ数学を駆使してもこのシルエットの面積を「計算」することは容易ではない。
しかしざっくり数える方法はある。

ランダム(「完全」にデタラメ)に「点」をこの中に打ち込んで数えるのだ。
「10個の点をデタラメに打ち込んで、何個がシルエット上にあるか」を数えるのである。
仮に3個シルエット上に点が打ち込まれたのでれば、
100平方センチの10個分の3個だから、
「約30平方センチメートル!」
なのだ。
まぁ10個の点ぐらいでは信頼性は低いかもしれないが、
これが100個、1000個、10万個となってくると話は違う。
仮に10万個ランダムに点を打った中で、28573個がシルエット上に打ち込まれていたとすれば、、、
100平方センチの100000個分の28573個だから、
「約28.573平方センチメートル!」
なのだ。

そんなデタラメな答えの出し方、、、と思うかもしれないが、
これもれっきとした面積の求め方である。
10万個も点を打って数えられない??
いやいや、数えられるのである。
なんたって、コンピュータの時代なのだから。
機械に数えさせればこんなの、ものの1秒かからないのである。
(子供の頃数学のテストでやったことがある人も
いるかもだが(自分はやったことあります)、
縦横を出来るだけ細かくマス目にして黒いところの数を数え尽くす、
なんて方法もあるね)

前者の理屈に基づいて数式で面積を算出する方法が
華麗(elegant)な解の求め方であるとするなら、
後者は力ずく(elephant)で面積を求める方法である。

エレガントじゃない?
いやいや、我々人間は皆エレガントでない部分があるのです。
字はどうやって書けるようになったのかな?
どうやって掛け算できるようになったのかな?
スポーツや、ゲームのルール、仕事のスキル、
生活の習慣はどうやって身につけたのかな?

それらは必ずしも同一ではない、数多くの反復のフィードバックから
身につき得られたもののはずです。
人間は元来elephantから入るのだ。
それを幼稚だといって否定するものではない。

世の中全てが華麗に頭の中の計算どおりに出来るわけなんてない。
むしろ複雑かつ未来のわからない現実に身を浮かべ、
自分なりに身につけたものによって生活している我々は、
シンプルだと言ってバカにするのではなく、
まずはシンプルなものほど身につけ、受け入れておくべきなのだ。

余談だがこのelephantな取り組み方こそ、今どきのAIの学習方法である。
とにかく膨大な数を取り組み、「正解に近づく」、という取り組み方なのだ。

先ほどの円の面積の例で述べたように、「絶対なる正解」というのは、
複雑であるほどなかなかに見出し難い。
であればこそ、elegantにこだわり続けるのではなく、
elephantでもスピーディーに「近いだろう正解」を見出すことの方が
有用なこともあることを我々大人は認識し直すべきだと思うのである。

完璧な規制(法律)がない以上、
大枠をフォローできるルールが最小、最速で提示できれば良い。
完璧な投資運用がない以上、
それなりに利益を出せるなら、簡単、続けられるものの方が良い。
ホテルやラーメン屋の稼働客数を計画しても、所詮それは計画でしかなくて、
さまざまな変数によって実際の数値は違う。経験者のざっくりの見立ての方が価値がある。

完全なものなど得られないし、
完全なものを求めるほど、現実や満足からは遠ざかっていく。

(ちなみに例2の円の問題についてだが、10×10の100平方以下、
内接する菱形(10×10の半分)50平方以上、
だからその中間で75、あと緩い円の部分、ん〜〜〜、
「ざっくり75平方ちょっと!!」と「瞬間」に答えられる子供がいたら、
それは現実を生き抜く実践的な答えとしては100点満点である。
たらたら30秒かけて計算して「約」78,5平方なんて言うより優れている。
ハナマルあげて頭をワシワシ撫でてあげた方が良いと思うのでる。
そういう力を、、、いや、そういう力「も」、
勉強としては身につけさせるべきだと思うのである。)

粗にして野だが非ではない、という感じかな。。。
elegantには憧れるけどね、それが絶対ではないよ、という話でした。

 

(2022/02/07 奥山記)

 

 

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咲くや、咲かずや。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり いまは春べと 咲くやこの花

難波津に梅の花が咲いている。
冬ごもりをしたあと、今こそ、春が来たといって梅の花が咲いている。

正月近江神宮で開催される、百人一首の全国大会をはじめとして
佐々木信綱が選定した競技かるたの開始の代表的序歌である。
(マンガ、アニメ「ちはやふる」でよく使われてますよね?え?知らない?
ちなみに競技かるたでは歌の相違・誤認を避けるために「〜いま「を」春べ〜」としているそうな。)
百人一首にはない和歌であるがこれを歌って「競技開始!」、よーいドンである。

この和歌は百済から日本に渡来し儒教や漢字を伝えたといわれる王仁(わに)が
「仁徳天皇」の即位を祝って詠んだ歌とされています。

紀貫之曰く「習字でまず習うもの」、
源氏物語に曰く「難波津さえ、ちゃんと書けないなんて、お子ちゃま」、
くらい基本中の基本、最初の最初である。

仁徳天皇知ってる?
そう、エジプトのクフ王ピラミッドよりも
おっきな大山古墳(伝、仁徳天皇陵)ですよ。(立入禁止で観光はできないけど。)
考古学上も4世紀から5世紀に「実在」したことが確認できる天皇。
これをもって日本は少なくとも神話ではなく現実として、
「現存する最も歴史ある王国」なわけです。(イギリスよりも、デンマークよりも長い!)

仁徳天皇といえば「民のかまど」である。
人々の家のかまどから炊煙が立っていないのを見て
「みんな生活に困ってる。税金とってる場合じゃない!」
と3年間租税を免除、自身も倹約に努め宮殿が雨漏りしても屋根を葺き直さなかった
という話。(今の政治家、役人にぜひ見習って欲しいものです。。。)

同じ国にすむもの、すべて家族である。
自分が国のイチバンのお父さんなら子供のためにできることはなんでもしてやろう、
の想いである。
(閉鎖的な民族主義ではない。同じ家に住むものは家族!の考えですよ。
日本にいるなら、全員国民!全員、国の宝!なのです。誤解なきよう。
皆から慕われてた王様だったから、そりゃ死んだ時のお墓もイチバン大きくなるわけだ。)

さらに言い始めると脱線が止まらないので話を本線に戻す。
そんな実在する「みんなのために」を第一とする素晴らしい王様の即位を祝って詠まれたのが「難波津〜」なのである。

うた自体の「 咲くやこの花」からはやはり「コノハナノサクヤヒメ」を
どうしても連想してしまう。作者の王仁も当然わかっててこの歌を詠んだのだろうと思う。
詳細は割愛するが、コノハナノサクヤヒメ(木花咲弥姫命)は日本の神話において
天照大神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)のとても別嬪なお嫁さんである。
神様が人間になる(その後の子孫の寿命が短くなった、神様ではなくなったとされる)
きっかけの人である。(神様の時代から、ヒトの時代へ。ちなみに、ヒマゴが神武天皇)

そんな背景にあやかって、、、、

有志の皆さんに集まっていただき半年ほど前から新規事業を準備している。
ヒトサマの本当の役に立つ必要とされるものを。レジウムチェンジとなるものを。
先日勝手に、独断で、「project SAKUYA」(内部名称)と名付けさせていただいた。
そろそろ花開き始めることを願って。

まぁ、事業っつーのは、僕に言わせれば相場より難しい。
成功するかどうかなんて走ってみなければわからないから。
早すぎたり、遅すぎたり、
スパイス一つ足りなかったり、あるいは詰め込みすぎだったりして、
たまたま上手くいくこともあれば、なかなか上手くいかないこともある。
いろんなタイミングや運、ご縁が重なり合って出来上がるものだから。

ダメだったらどうするか?上手くいくまで続けるのだ。断固として。
やるって決めたんだろうが!である。
それが成功の秘訣。失敗は成功の母。
上手くいくように改善、改善、改善。修正、修正、修正、である。
成功したら過去はすべて失敗ではなく必要な試行錯誤であり通過点に塗り替えられる。
「失敗」というのは諦めてやめてしまうこと。
針の糸を通すような上場を何回も実現させ、見てきた経験から言うと、
相場とは違い、事業の成否は「こだわり」と「想い」の強さにある。
自分たちが正しいと思えることを実現させようとする力。情熱。信念。

自分の想いが多くの人たちを巻き込み、集団となり、
自分たちのこだわりが、
自分たちの自己都合や我田引水ではなく、
多くの人たちに求められる、必要とされるものになるならば、
いつか社会に認めてもらえるもの、必要とされるもの、社会に残るものになるのであれば、
こんなに嬉しいことはない。

咲くや、咲かずや。ご照覧あれかし!
(って、他にもやりたいこと色々あるけど。。。(笑))

(2022/01/27 奥山記)

 

参考:
世界の王朝ランキング
https://honkawa2.sakura.ne.jp/9570.html

仁徳天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/仁徳天皇

 

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