Immortals(不老不死)

ベイマックスの主題歌(Fall Out Boys/Immortals)です。(笑)
mortals、生ける者、転じて、死すべきさだめの者。こちらが通常。
これに打ち消しの接頭語をつけてimmortals。
直訳すると「死なない者」。
ベイマックスの主題歌はこれをして言葉に「永遠」「無敵」「無双」の意味を込める。
鉄の意思とか強い信念とか、なくならない考え方、の意味でかっこいい言葉として。

バカなやつと思われるかもだが、
自分は「人間はいつか死ななくなる」と本気で考えている。
(多分、自分はそれには間に合わないと思うけど。。。)

死ぬとはどういうことなのか。
魂とは何か、心とは何か、どこにあるのか。

なかなか興味深いテーマであるし、
劇場版銀河鉄道999のキャプテンハーロックに言わせれば
「想いを後世に継いでいくことこそ永遠の命だ(意志の連鎖こそが永遠の命だ)」
なんてのがあるが、そんなことを今回言いたいわけでもない。
(これはこれで実はしっかり語りたいけど。(笑)
日本人の、海賊といえば義賊でしょ、というイメージは
出光でも村上水軍でもなく、松本零士による半世紀のすり込みなんだろうなぁ。
宇宙戦艦ヤマトの古代進のお兄さんの古代守がキャプテンハーロックなの知ってた?
小松原一男さんの描くメーテルの表情がとても素晴らしい)
。。。キリがないので話を戻す。

数年前のハリウッド映画に「トランセンデンス」というのがある。
ほぼ現代のSFで、人工知能の学者さんが死んでしまう前に脳のシナプスデータを
ごっそりサーバにアップロードして、コンピュータ上に人格を移築形成する。
コンピュータはやると決めたらめちゃくちゃ速い(笑)ので、
その人格が生前?やりたかったことをガンガンこなしていく。
R&Dやマイクロマシンの開発などが笑えるくらいすんごい勢いで進んでいく。。。
デジタル化による恩恵や実現可能性、リスクや人道問題など、
色々考えさせられる(SFとして面白い)映画です。
トランセンデンスとは「Transcendence」で、辞書では「超越」「超絶」という意味。
映画を見て自分が思った感想としては超越というよりは、
人類が新しいレベルに移行する可能性のようなものを感じたので、
語意としては適切でないかもしれないが「昇華」が相応しい気がする。

スマホなどの通信はもとより、
マトリクスよろしく仮想世界(バーチャル空間、メタバース)も一般化しつつある昨今、
人間が身体や物理的な場所に囚われない世界が着々と進んでいってるように思える。
(コロナ禍の功としてオンラインでのミーティングであり授業であり、分散型の作業でありと、場所に縛られない社会というのが一気に進んだように思います)
対面で直接ってない人が実は物理的には存在しない人だったとか、
(2Dではあるが営業マンや案内嬢などのアバターも実現しはじめてる)
月には行ったことないけど月に住んでる友達と毎日仕事してるよ、
なんてこともそれほど遠くない未来に実現しそうである。。。。
映画のように人間がコンピュータに移築されるなら不老不死は大いに現実味を増す。
(脳だって電気信号のネットワークでしかないのだから十分可能性はある。)

「死」は現時点では克服できない、万人に待ち受けるもの。
死にたくない、若いままでいたいというのは、人間の欲求の究極であり、
日常的な言葉でいえば「健康で、元気に、若々しく、すごし続けたい」となろうか。
人生を豊かに過ごしたい個人は、人それぞれだが、そのために色々な努力をする。
(運動、サプリ、食事、手術などの治療、お肌のお手入れ、アンチエイジング、美魔女、、)
「不老不死」は言葉としては非現実的でも、
極めて普通の人間の、なんとか叶えたい、できれば近づきたい願いなのだ。
(そういえば名探偵コナンの敵方、黒の組織のゴールも不老不死だよね。。。)

いやいや不死なんて、と思われるかもしれないが、
ナノテクノロジー、細胞レベルでの治療、ワクチンや治療薬の進化。
マイクロマシンと言われる微細なロボット。
人間としての身体を補助したり代替するロボットやデバイスの発展。
人間の記憶媒体(脳)の一部外部化と、そこへのアクセシビリティの向上。
実はどんどん人間は老いなく、死ななくなってきている。
人生50年なんて言ってた信長の時代に比べたら、
ダブルスコアの100歳なんて「普通」な昨今なのだ。

30年前の人から見たらスマホだって嘘みたいな世界。
タッチパネルの普及もすごいけど、最近は非接触で操作できるものも存在する。
液晶テレビの薄さや、使えるコードレス掃除機。
自動車だってもうすぐ自動で走る時代になる、、、はず。
昔の人から見ればなんじゃこりゃーな凄さ。

今は無理でもいずれ、あると思います、不老不死。(笑)

凡そ人間が想像していることは時間はかかるかもしれないが現実化していく。
10年では届かなくとも、20年あれば。
2050年を待たずに状況は大きく変わってるのではないだろうか。
人類は不老不死にあながち遠くもなさそうなところまで来ている。

60歳定年とか65歳年金支給なんて言ってる場合ではない。
人間は100歳は普通に超えていく時代が既に現実化しつつある。
既に、ひと昔前の自分達の親の世代と比べれば10〜20歳は寿命は伸びてる、
実感的には祖父祖母からみると30〜40年伸びてると言っても過言じゃないのでは?
(そりゃそれを国家支給で賄おうと思ったら国家の財政破綻するわいな)

乱暴だが人は死ななくなると思って人生かかった方が良い。
逆にいえば、「死ぬ」というのも、(金がないのも含め)理由があって生じる
後発的「事故」「不運」になりつつある。

で、何が言いたいかというと、そんなだからこそ、

死せることを実感している者よ、
1日でも長く、生きることにしがみつくのだ。
日進月歩で格段に人間は死ななくなりつつある。
今日治せなかったことでも明日には治るようになっているかもしれない。

そして生きるということは無駄に時間を浪費していくことではない。
自分のやりたいことをするのだ。自分らしく生きるのだ。
時間が限られているから人生を有意義にするのではない。
限られていようがいまいが、人生はその人にとって有意義であるべきなのだ。
やりおなしは何度でもきく。何かをするに遅すぎることはない。
あきらめて惰性に流れるのではなく、
余命をカウントダウンするのではなく、
自分の意志で、
自分なりに納得いく豊かな人生を、幸せな人生を過ごすのだ。

「今」を大切にできる人には素敵な時間がより多く用意されつつあるのだ。
逆に今を大切にできないなら未来は無限の煉獄となる。

例えば50歳からの残りの人生50年(もっといえば100年!)をどう生きるか。
一通りの勉強もし、子育ても終わり、社会人としても1ラウンドこなしたとする。
それで終わるのか?
そこから先こそが本当の自分らしい人生なのだ。
人生のピリオドに向けて力を抜いていく時代ではないのだ。

人生いつでも、これからが面白い。
「ここからや。やったるでー。」の精神でいかないとね。

(2022/05/27 奥山記)

 

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4件のコメント

  1. 高齢者となった私にとっての未来は。。。
    などと、考える機会が多かったのですが、

    >人生いつでも、これからが面白い。
    >「ここからや。やったるでー。」の精神でいかないとね。

    これ、目の前が明るく広がりました!(^^)

  2. とても興味深く読ませていただきました!
    かつて治療のために長く入院していた事がありますが
    病いを持つ多くの人達も、このブログを読んだら
    どれほど希望が持てるだろうと思いました。

    「時間が限られているから人生を有意義にするのではない。
    限られていようがいまいが、人生はその人にとって有意義であるべきなのだ」
    いつも教わっている相場の考え方に通じていて、
    どんな状況でも「粛々淡々と継続」できる人になりたいと思いました。

  3. 人生かけて何者かになろうと頑張ることは素晴らしいと思う。ただ自分自身そういった時期が長く相当心身をすり減らしてきたように思う。
    有意義な人生を目指しても目指さなくても、すでに十分有意義な人生が目の前に展開してるのだと思えるに至った今は、日々の幸せの種を大いに味わいつつ、不老不死となってもおそらく楽しみきれないあれやコレやを少しずつ楽しんでいます。

  4. 奥山先生

    マ○○投○塾で教わった者です。
    前社をお辞めになってから、全く音信不通になってしまい心配しておりました。
    こうして活動再開されていることを知り、嬉しい限りです。
    またお目にかかれたらと思いますが、どうしたら良いでしょうか?

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