前回の話の中で「晴れの日」に触れたので、今回はそれに関連する思い出話を。
ネットで関連する検索をかなり探したのだがあまり情報が出てこなかった。
(古い話なので当然か)
関連する奥山個人の蔵書も年末年始、探してみたのだが、発見できずにいる。
しかし、そのもの自体は奥山の宝物の一つとして絶対に我が家の中にある。
皆さんはメダルゲーム(コインゲームともいう)を遊んだことがあるだろうか?
そう、大きなゲームセンターの別フロアにあるアレである。
ブロック崩しやインベーダーゲームにはじまるアーケードゲームや、
プリクラ、UFOキャッチャーなどと並び、
メダルゲームはゲームセンターの大いなる華、メインカテゴリの一つである。
ビデオポーカー系、落ちもの(ペニーフォール)系、ビンゴや競馬などの大型機、などなど、
購入した(借りた?)メダルを投入し、増やそうとして遊ぶアレである。
カジノではなく換金出来ないコインを増やそうとして何が楽しいのか?
楽しいのである。
手元のメダルがカジノ同様、簡単には増えないが、
増えて手元にバケツいっぱいのメダルとなった時の嬉しさたるや。
お金に戻すことができなくともその場その瞬間、至福の喜びなのである。
そもそも、そんなものを発明し、そんなものが存在するのはカジノが禁じられてきた
日本だけなのである。
(風営法5条がうんたらかんたらという法的ウンチクは今回は完全割愛します)
それを生み出した人物は真鍋勝紀氏(2007年67歳で死去)という。
そのメダルゲーム事業を主業として業績を上げ、
上場まで果たしたユニークな企業であった。
その企業名、名を「シグマ」と言った。
かつては都内を中心に数十店舗のゲームセンター
(「GAME FANTASIA」と言えば、ああと思い出す方もいるか)を展開し、
メダルゲームを中心として、それにより上場まで果たした時代の一企業である。
もうかなり以前にパチスロメーカーに買収され、アドアーズと名前を変え、
その後、運営企業が何度か変わってしまい、
その創業時のイズムを語る人はめっきり少なくなってしまった。。。
以下は奥山の記憶と思い出前提で話をする。
シグマの創業者真鍋氏は若かりし時、湘南の露天にあったパチンコ
(といってもパチンコ店で見かけるやつではなく、ピンボールゲームのシンプルなやつ)
を楽しく遊ぶ親子、ささやかな景品がもらえる時に喜ぶ子供、またそれを見て喜ぶ親を見て、
『人間が「なんでもない日常(褻の日(けのひ)という)」を重ねていく中では
記憶に残らないでもささやかな幸せを感じられる、
「ささやかな晴れの日」が人生を豊かにする』
と考え、それを天職にしようと志したのである。
東京大学在学中に真鍋氏はその日常のささやかな幸せを集約・集合化するには
どう考えるべきかを論文にしている。
(シグマ理論。関係者有志のための非売品の論文であり実物を持っている人は
もはや数少ないはずであるが、奥山の書庫には、ある。僕の宝物の一つとして。)
それを基礎にして有志とともにシグマ社が起ち上がり、メダルゲームが日本に広まって、
都市には必ずある日本独特のゲームセンターの一角を形成したのである。
若かりし奥山はメダルゲームが好きであった。
好きが高じて店員さん達と仲良くなり、店長と仲良くなり、経営者達と知り合い、
上場を果たしたのちのバブルによる株価急落の状況で自分が
できればシグマ社の株を買い集め企業理念を尊重する
大株主オーナーになりたいとさえ思ったものである。
ビジネスマン、サラリーマンの日常は楽しいことばかりではない。
面倒くさいこと、悩み、トラブル、などなどどちらかというと見城氏ではないが、
「憂鬱でなければ仕事じゃない」が日常。
褻の日(けのひ)とはそういうものである。
一杯のコーヒーに日常の安らぎを見出す人は多いが、
それは「晴れ」ではない。
晴れの日というのは「結婚」「成人」「出産」「入学」、、、
そういう、人生にメモリアル、大切な記念日として残るであろうほどの特別に晴々しい日。
「晴れ」を集団的に、エリア的に発生させた晴れの日が
「お祭り」「縁日」であり「花火大会」であり、「学園祭」、「発表会」、「修学旅行」、
「甲子園」など各種スポーツの「地方大会」「全国大会」。
そういった晴れの日は子供の時には多くとも、
大人になるほど、歳をとるほど、極めて少なくなっていく。
(地域の年に一度のお祭りなどを人生に必須と考え、
心の支えにしている人が多いのも頷けるのである)
褻の日ばかりでは人生が味気ないのである。
今どきの言葉で言えば「上がる↑」要素が人生に必要なのである。
それは個人に必要なものなので、人それぞれ違っていて当然良いのだが。
ささやかでもそういうものを都会の日常に作り出せないか。
そんなことばかりを考えつくし、ビジネスにした真鍋氏はすごいと思うのである。
大リスペクトである。
メダルゲームもどこかの業界の安売り競争や手数料競争にも似て、
千円で購入できるメダルの量がインフレを続けている。悲しい限りである。
(UFOキャッチャーで景品が取れた時の喜びはプチ晴れの日なのかもね。)
当初のメダルゲームに見出した「日常の晴れの日の喜び」の原点こそ、
人間が日常に求めているものではないのだろうか。
「おもてなし」という言葉を使う側の反対の顧客側の目線で言えば、
顧客個人にとっては「褻ではなく記憶されるかもしれない「晴れ」」こそ
サービス全般に求めているものなのではなかと思うのである。
機能は重要だ。インチキなサービスではそもそも晴れは作り出せない。
しかし、「機能」は顧客満足の全てではない。
ビジネス、サービスとして
お金を手に入れることを考えるとき、
惰性で給料をもらう、機能によるお金をもらうのではなく、
相手を満足させる「晴れ」をいかに作り出すか、いかに作り出し続けるか、
それを常に考え続けることこそ、それぞれの仕事、ビジネスなのだと思う。
(2022/01/23 奥山記)
参考
故真鍋勝紀氏の個人会社
https://ja.wikipedia.org/wiki/ケイエム企業
シグマのOBの方のブログ(数少なく発見できたもの)
http://kit2002.blog60.fc2.com/blog-entry-234.html
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